当財団が関与する刀剣類の一部をご紹介
当財団が関与する刀剣類、刀装具類、小道具等は数千点以上あり、現在、複数の美術館、博物館等に無償貸し出しを行っております。
※リンクから詳細ページに飛びます。
国指定品
【日本国外への流出禁止品目:重要文化財保護法対象品】
国認定重要美術品
(戦前から国指定に準ずる指定品:海外流出禁止対象品)
その他、特別重要刀剣・重要刀剣数百振以上。
(次の国宝・重要文化財の指定の際に、これらの中から選択される貴重な美術刀剣)
この太刀は熊野三所権現 長光(くまのさんしょごんげん ながみつ)です。
鎌倉時代中期に現在の岡山県備前で作られたもので、作者が長光(ながみつ)という人です。
多くの日本刀には作者の銘が刻まれています。
元寇襲来の際、朝廷が元軍の撃退祈願の護摩炊き(木を燃やして炎を上げ祈願します)を行う時に使用するため作刀され熊野大社に奉納されたものと伝わっています。
この太刀には天正上杉家の拵えが付属されています。
熊野三所権現の伝来について記載しておきます。(調査中のものを含みます)
熊野大社から九鬼氏(織田信長の鉄甲船で有名)へ渡り、その後九鬼氏は信長の家臣の重鎮滝川一益の取り計らいで信長の家臣となる。この際、九鬼氏は熊野三所権現
長光を信長に献上。
その後に豊臣秀吉の所蔵品となり、更に上杉景勝が上洛の際にもらい受けた。その際に、天正上杉拵が造られたと思われる。
その後、関ヶ原の合戦に於いて上杉氏は負け組となり石高120万石から30万石に減遇され、更にお家断絶の危機に直面する。秀吉の家臣の多くが御家取りつぶしにあっていた時代である。上杉家家老直江兼続が徳川側と交渉し「上杉家はもはや豊臣家の家臣ではなく徳川家の家臣である」ということを証明する一助として秀吉からもらい受けた熊野三所権現
長光の太刀を徳川家へ進呈したものを推察される。
徳川家八代将軍吉宗の代になって丹波福知山(現京都府)城主朽木氏が、寺社奉行兼奏者の功を認められて熊野三所権現 長光を拝領した。明治になって細川家所有となっている。(詳細を調査中)
〔最も霊力がある日本刀は?〕
日本刀には色々なエピソードがあります。
直江兼続が水の神様を切って洪水を鎮め、農民ら庶民を救ったという逸話がある水神切兼光。(当財団関与)
おばけ?妖怪?を切ったとされるニッカリ青江などなど。
しかし最強となると、おそらくこの熊野三所権現 長光かもしれない。
何しろ二度も台風を的中させ、元寇(蒙古軍)を撃退したのだから。
台風を的中させたことも凄いが、破った人数も何十万人にもなると群を抜いて凄いのかも、との下馬評もあります。