刀剣 ご紹介

当財団が関与する刀剣類の一部をご紹介

当財団が関与する刀剣類、刀装具類、小道具等は数千点以上あり、現在、複数の美術館、博物館等に無償貸し出しを行っております。
特に、宮城県大崎市岩出山にある中鉢美術館では多くの日本刀が展示されており、少しずつ日本刀剣類の入れ替えも行っていく予定です。

国指定品【日本国外への流出禁止品目:重要文化財保護法対象品】

国宝
熊野三所権現 長光 / 太刀
[鎌倉時代]
元寇襲来時、朝廷が撃退祈願の護摩焚きを行った。
本作は朝廷(天皇あるいは上皇)が護摩焚きに使用するため作刀された。
熊野大社に奉納されたもの。
長光は鎌倉時代の名人。
抜群の伝来。
名だたる武将に受け継がれてきた太刀。
細川家伝来
朝廷(天皇)→熊野大社→九鬼水軍→織田信長→豊臣秀吉→上杉景勝→徳川家康→吉宗→朽木氏(丹後福知山城主)→細川家

 

重要文化財
備前国畠田守家 / 太刀
[鎌倉時代]
「家を守る」ということで武家が最後まで手放さなかった名刀。
紀州徳川家伝来
守家の最高傑作。
幅広貞宗【名物】(御堀出貞宗) / 太刀
[南北朝時代]
関ヶ原の合戦後、徳川家康自らが分捕った敵将らの刀の山から掘り出したためこの号があるほどの刀。
家康→秀忠→家光→加賀百万石前田家伝来
前田家では「御堀出」を知らずに、超大物だったため幅広貞宗と号が付けられた。
貞宗は正宗の子、あるいは娘婿。
小夜左文字【名物】 / 短刀
[南北朝時代]
インターネットで検索すると多数ヒットするほど有名。人気RPGゲームにも登場する。
親の仇である盗賊を相手に、この短刀で仇討を成し遂げたという逸話もある。
山之内一豊→豊臣秀吉→細川幽斎(細川家伝来)→京都の大豪商
飢饉の際、細川家ではこの短刀を京都の大豪商に売って食料を買い、家来や農民の命を救ったことでも有名。
行光 / 太刀
[鎌倉時代]
正宗の師と伝わる名人
仙台伊達家伝来の重宝
鎌倉時代の別格クラス
備前国長船住兼光 元弘三年八月日 / 太刀
[鎌倉~南北朝時代]
兼光は名人長光の孫で鉄砲を切ったりした最上大業物作者。
最上大業物にして最上作。
仙台伊達家伝来の家宝
吉岡一文字 / 太刀
[鎌倉時代]
徳川将軍家伝来
備州長船住長義 / 太刀
[鎌倉時代]
調査中
愛染国俊【名物】/ 短刀
[鎌倉時代]
豊臣秀吉→徳川家康→森忠政→徳川家光→前田家
(戦前に国宝指定)
則重 / 短刀
[鎌倉時代]
正宗の兄弟子に当たる名人
前田家伝来
来国光 / 短刀
[鎌倉時代]
館林家伝来
順慶 (古備前) / 太刀
[平安~鎌倉時代]
松平子爵家伝来
秀近 (古備前) / 太刀
[平安時代]
調査中
(戦前に国宝指定)
貞綱 / 太刀
[鎌倉時代]
大和国・鎌倉時代の太刀で在銘は本品のみで希少。
紀州徳川家伝来
秋広 / 太刀
[南北朝時代]
正宗の曾孫(ひ孫)。
名刀。
調査中
徳川家伝来
光忠 / 太刀
[鎌倉時代]
備前刀主流長船派の祖。
信長が多く所有していたことで有名だが、大半は本能寺で焼けてしまった。
調査中
(織田信長)→(豊臣秀吉)→(徳川家康)
則重 / 刀
[南北朝時代]
調査中
真守 (備前国畠田) / 太刀
[鎌倉時代]
浅野家伝来
一文字佐包 / 太刀
[鎌倉時代]
浅野家伝来
備州長船元重 / 刀
[鎌倉時代~南北朝時代]
山形県致道博物館にて2015年9月1日より展示。
静岡県佐野美術館で同年12月から展示されました。
庄内藩(山形県)酒井家伝来
旧所有者酒井氏と当財団澤口が文化財保護の観点から、協力して救い出した貴重な日本刀。

その他、国認定重要美術品(戦前から国指定に準ずる指定品:海外流出禁止対象品)、重要刀剣等多数保有の一部

重要美術品
波游ぎ兼光【名物】/ 太刀
[南北朝時代]
相手を切ったら川の向こうまで游いで行ってから真っ二つに割れ死んだという実話からこの名がある。
上杉謙信→上杉景勝→豊臣秀吉→小早川秀秋→(徳川家康)→九州立花家伝来
八代将軍吉宗が「見せろ」と言っても、見せると献上させられるので見せなかったほどの名刀。
水神切り兼光 / 太刀
[南北朝時代]
直江兼続が水の神様を切ったら洪水が収まった、という言い伝えによりこの号がついた名物かつ大名刀。
上杉謙信→上杉景勝→直江兼続
大倶利伽羅広光【名物】/ 太刀
[鎌倉時代]
大きな龍が剣にからみつく図が彫られているためにこの号がある。
仙台伊達家伝来
伊達正宗が江戸城普請の功により家康より賜ったもの。
授受は江戸城に於いて秀忠から二代藩主忠宗に渡された。
幕末まで伊達家江戸屋敷にあった。

その他、特別重要刀剣・重要刀剣数百振以上。
(次の国宝・重要文化財の指定の際に、これらの中から選択される貴重な美術刀剣である)

重要刀剣
村正 / 太刀
[戦国時代]
妖刀村正で有名。
徳川家に数々の殺傷事件を起こしたり、介錯に使われたため「妖刀」の名が付いた。
正宗 / 太刀
[鎌倉時代]
名刀正宗である。
南部家伝来
正宗 / 太刀
[鎌倉時代]
名刀正宗である。
真田家伝来
虎徹 三つ胴落とし / 刀
[江戸時代]
死体を三体重ねて切断した旨、金象嵌されている。
最上大業物にして最上作。
水戸徳川家伝来
虎徹は新撰組隊長の近藤勇が寺田屋 事件で使用し、その切れ味でも有名。
虎徹(虎徹入道名)/ 刀
[江戸時代]
最上大業物にして最上作。
新刀(江戸時代)の最高峰。
山田浅衛門の佩刀
首切り役人である実在の人物・山田浅衛門が常に身につけていた刀として有名。
未申請
九州同田貫上野介(正国) / 刀
[戦国時代]
朝鮮での文禄・慶長の役で敵を切った血のり錆がついたままの歴史を語る一振。
名刀。
加藤清正所持
岡山県知事よりGHQハワイ銀行頭取に贈呈されたもの。
戦後、澤口氏が米国より持ち帰った。

重要刀剣
安綱 / 太刀
[平安時代]
平安時代に造られた名刀。
同作者作に国宝・童子切安綱等の名刀がある。
超一級の作者で日本刀の祖。
(徳川本家伝来)→京都寺院
安綱は坂之上田村麻呂の副官の弟(副官:長男、安綱:四男)。
東北遠征に従軍している。この際に、直刃だったものが湾曲し日本刀の誕生となったという説がある。

 

特別重要刀剣
重要刀装具
真守 / 太刀
[平安時代]
安綱の子。
山之上田村麻呂の奥州遠征に父・安綱と共に従軍。
東北に三十数年滞在し奥州に於いても作刀した。
上杉謙信→上杉十二代目(江戸末期)→上杉十三代目(明治初期)
上杉の差料として用いられた際の鞘も重要刀装具に指定されている。


 

「国宝」熊野三所権現 長光

この太刀は熊野三所権現 長光(くまのさんしょごんげん ながみつ)です。

鎌倉時代中期に現在の岡山県備前で作られたもので、作者が長光(ながみつ)という人です。
多くの日本刀には作者の銘が刻まれています。
元寇襲来の際、朝廷が元軍の撃退祈願の護摩炊き(木を燃やして炎を上げ祈願します)を行う時に使用するため作刀され熊野大社に奉納されたものと伝わっています。
この太刀には天正上杉家の拵えが付属されています。

熊野三所権現の伝来について記載しておきます。(調査中のものを含みます)

 熊野大社から九鬼氏(織田信長の鉄甲船で有名)へ渡り、その後九鬼氏は信長の家臣の重鎮滝川一益の取り計らいで信長の家臣となる。この際、九鬼氏は熊野三所権現 長光を信長に献上。
その後に豊臣秀吉の所蔵品となり、更に上杉景勝が上洛の際にもらい受けた。その際に、天正上杉拵が造られたと思われる。
その後、関ヶ原の合戦に於いて上杉氏は負け組となり石高120万石から30万石に減遇され、更にお家断絶の危機に直面する。秀吉の家臣の多くが御家取りつぶしにあっていた時代である。上杉家家老直江兼続が徳川側と交渉し「上杉家はもはや豊臣家の家臣ではなく徳川家の家臣である」ということを証明する一助として秀吉からもらい受けた熊野三所権現 長光の太刀を徳川家へ進呈したものを推察される。
 徳川家八代将軍吉宗の代になって丹波福知山(現京都府)城主朽木氏が、寺社奉行兼奏者の功を認められて熊野三所権現 長光を拝領した。明治になって細川家所有となっている。(詳細を調査中)

〔最も霊力がある日本刀は?〕

日本刀には色々なエピソードがあります。
直江兼続が水の神様を切って洪水を鎮め、農民ら庶民を救ったという逸話がある水神切兼光。(当財団関与)
おばけ?妖怪?を切ったとされるニッカリ青江などなど。
しかし最強となると、おそらくこの熊野三所権現 長光かもしれない。
何しろ二度も台風を的中させ、元寇(蒙古軍)を撃退したのだから。
台風を的中させたことも凄いが、破った人数も何十万人にもなると群を抜いて凄いのかも、との下馬評もあります。